1984年からロッテの監督に就任した稲尾氏。
西鉄ライオンズ、太平洋クラブ等で監督をするなど、選手そして監督としても福岡の顔として活躍していた同氏が
なぜ、超不人気球団だった、ロッテの監督を請けたのか。。
当時のロッテ球団は、プロ野球チーム経営の活性化のため、福岡への移転を画策していたそうです。
それを稲尾氏にも伝え、チームの移転と福岡凱旋を目指したとのこと。
結局は、当時の企業としての勢いや、政財界とつながりもあり
オーナーが替わり、経営の見直しが進んだ南海を買収するという形で、ダイエーが福岡に移転してきます。
もし、「福岡ロッテオリオンズ」というチームが福岡根付いていたとしたら、
開閉式ドーム球場の建設はなかったかも、、
ミッチェルなど高額年俸の選手をなりふり構わず契約するといった補強策はなかったかも、、
秋山監督を見ることができなかったかも、、
毎年、ダイエーのセールで福岡の街が盛り上がることもなかったかも、、
しれませんね。
・
・この記事を読んでいる方は、以下の記事もお勧めです。